今でもそうなのかはわからないですが、約10年程前の引越しのバイトは過酷なバイトでした。

というのもまず朝6時出社という早い時間の出社から始まり、ラジオ体操、 作業用具準備そして現地到着後の地獄タイム、引越し作業へと続くのですが、この引越し作業が半端なかったです。

荷物を積み終わるまでの2~3時間はノンストップで荷物持ちながら走りっぱなし、 体力の限界を超えもはや根性とか気力とか精神論の世界。

しかも今度は同じ事を積み下ろし先でもしなければいけないという過酷さ… 正直よく生きてたなと思いました。

そのバイト当時の食生活が、朝コンビニ弁当2食、昼コンビニ弁当2食、夜ご飯3杯におかずと半端なく大量に食べてたのですが、 体重は増えないどころか減ってたあたりに、引越しのバイトの過酷さと恐ろしさがにじみ出ていると思います。

しかし、そんな過酷な引越しのバイトでしたが、それでもやる魅力はありました。

その魅力はというと日給の高さ。

学生の身分で日給1万+残業あれば残業代くれるのは引越しくらいでしたし、 また引越しのバイトでは特有のご祝儀ボーナスとでも言えばいいのでしょうか、 バイトでもご祝儀と呼ばれるおこづかいをもらう事がたまにですがありました。

私は最高額で5千円位もらった事がありましたが、なかには1万円、2万円くれる場合もあったようです。

ご祝儀に関してはくれるお客さん、くれないお客さんがあったので運の部分もありますが、 もらえれば、かなり大きいある種バクチみたいな部分がありますが、 そういう収入の高さが引越しという過酷なバイトを魅力あるバイトにしている要因の1つだと思います。

ただ短期でなければ続きませんが…それ程に過酷なのです。

女性も活躍中!引越しのアルバイト

荷造り・荷解き編1

学生時代に引越し業者でアルバイトをしていました。

私の担当はお客様の御自宅にお伺いしての荷造りと、荷解きの作業でした。

実際にお客様の元にお伺いすると、本当に多種多様な方がいらっしゃって色々と面白い事も体験しました。

あらかじめ大事な物は纏めておいて下さい、とお願いするのですがきちんと纏めている方もいれば、 全てそのまま、業者にまかせっきりな方も。

荷造りしたものは基本的に、荷解きの時もできる限りもとの形に並べるのですが壊れ物や細かいものが多かったりすると、本当に大変でした。

子供部屋に入れる荷物を違う部屋に運び入れてしまい、あわてて探した事も。

他には本などの重いものを大きな箱に入れてしまい、荷運びの方に怒られた事もありました。

今では全部懐かしい思い出です。

ちなみに私の主人も別の会社ですが、引越し業者のアルバイト経験者なので我が家の引越しは業者に頼まず、 荷作りから荷運びまで全て自力で引越しをやってしまえるようになりました。

これもこのアルバイト経験のおかげですね。

荷造り・荷解き編2

アルバイトをしたての学生の頃に、短期で引越シーズンに、引越屋さんのアルバイトをしました。

内容は、引越先に行き荷物を梱包するという仕事です。

お客様は荷作りをすることはなく引っ越せるというサービスです。

何人かでチームで作業をします。

本棚にある本は、左から順に段ボールにつめていく。

段もそのまま。

ルールにそって梱包していき、引越先でもそのまま入れ直していくので、 引越し前、引越し先でもなにも変わらないようにすることが、このサービスのいちばんの特徴です。

お掃除も仕事なので、大きい荷物を移動したあとの掃除なども請け負って行います。

プライベートなところまで、依頼主の方のことがわかってしまうようなところがありますが、 それは依頼主にとっては承知のことだと思います。

お客様は引越作業がすすむなか、ソファに座っていたのを覚えています。

お客様は、本当に何もしないというお引っ越しです。

転勤の多い引越が多い方には、便利なサービスだと思います。

事務→現場助っ人編

以前、某引越しサービス業者でバイトをしたことがあります。

私は女性であるため、もともとは事務として採用されたのですが、 ずっと働いているとたまに実際の搬入・搬出作業のヘルプとして借り出されることも多くなり、 体を動かすことが好きな私は、結構進んでその仕事を引き受けていました。

何件も色々なお家にお邪魔し、引越しの手伝いをしていると、変わった引越しに出会うこともよくあります。

中でも一番驚いたのが、人形マニアと思われる人の引越しです。

そこの引越しはまず、家に入ったとたん、ダンボールが通常より多いことに驚きました。

運びやすいように、通常は、本などは中くらいのダンボールに入れてもらうようにお願いし、 衣類のような軽いものだけは、大きめでもOKとしているのですが、そこの家はほぼ全てのダンボールがとてつもなく大きく、 自分の背丈くらいのダンボールがいくつもあるのです。

怪しげに思いながら一つのダンボールを持つと、大きさの割りにはそんなに重くなく、 何だろうと思いながら運んでいると何と人の腕っぽいものが見え思わず落としそうになりました。

ドキドキしながらトラックまで運んで仲間に話していると、どうやら仲間も異変にきづいたらしいのですが、 結局重さからして等身大の人形であることが発覚しました。

その家には、10個以上もそういったダンボールがあり、今までで一番驚いた引越しです。

大変だった引越しのアルバイト

大学生のころ大変だったアルバイトのベスト3に入るのは、やはり引越しのアルバイトだったのではないかなと思います。

色々な場所で色々な引越し業社でアルバイトをしました。

その中で赤帽と言えば私個人のイメージとしては、一人暮らし用の小型軽自動車で引越しといったものでそれほど大変ではなかった記憶があります。

しかしその中で一度だけ古い団地のファミリーの引越しの搬出に当たったことを 思い出さずにいられません。

赤帽にしてはでっかいトラックだなと思って朝集合しました。

確か団地だったような気がします。

エレベーターはなく階段で3階まであがり、そこからしばらく歩いて部屋まで行くというパターンの繰り返しでどうしたら、 こんなに荷物があるんだとかわいい子供たちと新しい引越し先へ向けて、気分も高揚しているように見える夫婦の姿を見ながら思ったものです。

一緒に働いた人たちは皆感じがよくたまに入るとすごく怖い人たちが集まってたりして、 泣きたくなることもありましたが、赤帽に対してはそんなことはありませんでした。

ベテランの方と若手が私を含めて4人という体制でしたが、すんなりと引越しの準備を終えることが出来ました。

エレベーターなどの設備が使えなかったことは不満でしたが、定番とも言える搬出終了後に振舞っていただいた炭酸飲料がとてつもなく美味しかったことが、 何よりも引越しのアルバイトをしていてよかったなと感じる瞬間です。

引越しの際に私たちのようなアルバイトの人間が必要なように人間は水が必要なのです。

引っ越しのアルバイトは結構な重労働

何十年も前の話ですが、引越し屋さんのバイトをしたことがあります。

朝早いし、搬出・搬入の段取りは大変で、タンスなどの重い荷物運びが続くと、帰る頃には手足の関節がガクガクになることもあります。

あまり体力のない私には、結構な重労働でした。

それでもバイトを辞めないで続けていたのは、バイト中に1つ楽しみがあったからです。

それはお客様から「寸志」が貰えたことです。

休憩時間に缶コーヒーが貰えることは良くあることですが、昼飯・夕飯をご馳走になることもありました。

寸志としてお金を頂く時は、作業したメンバーで分けて貰えるのですが、会社から貰うバイト代よりも多い金額を戴いたこともありました。

そうこうするうちに、「今日は何もらえるかな」なんて期待するようになり、何ももらえない日があると「なんだよ!」って影で文句をいったり。

今の引越し屋では貰った「寸志」はどのような扱いをしているのか知りませんが、 私が単身引越を依頼した時は、ペットボトルのジュースを全員に渡しました。

恐らく影で文句を言われていたんじゃないでしょうか。

大変だけどいい仕事

高校を卒業して大学が決まり、春休みに友だちから紹介された引越センターのアルバイトをしました。

その引越センターは、千葉にありました。

電車に乗って行ってもそれほど時間がかかる場所ではありませんが、朝、まだ暗いうちに約束の場所へ行けば、 センターの社員がクルマで向かいに来てくれたのです。

交通費ゼロ。そんなバイトでした。

仕事は主に一般家庭の引越と、同じく一般家庭に荷物を届ける宅配。この二つ。

僕は初日に宅配をやりましたが、それ以降はすべて一般家庭の引越でした。

僕は当時クルマの運転免許を持っていませんでしたから、当然のこと、仕事は助手です。

でも、本当においしいのは、宅配よりもやっぱりこの引越です。

確かに引越と言うと、家具や書籍類など、荷物は重くて大変です。

もし、お客さんがエレベーターのない上階なら、上り下りは地獄です。

しかし、この仕事にはご祝儀という臨時収入がある。

これがもうたまりません。日当プラスご祝儀。

引越は本当においしい仕事でした。